第7次ネパール教育支援の旅無事に終了 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今回の目的 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1 大石トキさん個人寄付金によるスンディー小学校3教室1職員室の落成式 2 教員研修についてタンセン市役所、セン小学校校長ルンビニ関係者と協議及び計画立案 3 ルンビニ移動図書に関しての協議及び計画立案 4 日本語学校(ラマ校長)視察訪問 5 賛助会員梶氏を含む7名の新規参加者-計15名 期 間 2003年1月26日〜2月2日 |
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『あまり深く考えないようにしょう』----大谷 安宏 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カトマンドゥの家並みは深い朝もやのなかに鶏の鳴き声、クラクション、人々の動きとともに明けたが、いつもと違い何時まで経っても上空に明るさが増さず、天候はあまり期待できそうもない。天候不順と寒さと知らされていたが、今回の支援の旅の先々がいささか不安を感じるが、初めてのネパール参加者にヒマラヤの雄姿を堪能してもらうためにも好天を期待したいものだ。 朝食前にカトマンドゥ日本語学院を訪れラマ校長の活躍振りを拝見することにする。さすがに以前に比べて校内の整理整頓も行き届き、壁に掲示されている資料などからも積極的な校内運営が伺える。ラマさんの表情もすっかり校長としての威厳と自信が感じられる。5人の生徒に2人の日本人教師よる授業のテーマは近く行われる弁論大会のに向けての特訓で、女子生徒による“海への憬れ”を発表披露してくれた。海を見たことのない彼女のインド洋に浮かぶモルディブへの憬れと地球温暖化により水没の危機が予測される危惧を訴えるもので、CO2排出国として上位にある国として、複雑な気持ちで聞かしてもらった。一昨年地球一周の船旅で訪れたモルディブのエメラルドグリーンの海に浮かぶ島々の写真を贈ることを約してきた。 テロやマオイストの関係で空港の手荷物のチェックが厳しいことを予測し、企業からの支援計測器のマルチメータは手荷物のザックにしたが、関空での通電テストのチェックは受けたが、どうにか無事バイラワ便にも通過することができた。霧で大幅に発着の遅れの中、ラマさんの交渉でポカラ便をバイラワ行きに繰り上げ、幸いにヒマラヤの峰々もどうにか望めるフライトで窓に顔をすり寄せ見入っている皆さんの姿に安堵した。 ナグロ・レストランでの先生方との懇親会には大幅に遅れ、皆さん方を待たせてしまったが、学長筆頭に両手を差伸べ懐かしい笑顔で迎えてくれる。すっかりこちらがネパール時間になってしまった。出席の先生方の数も増え、関空で仕入れた“サントリー山崎15年”もみるみる空になる盛り上り。継続した交流をもとにした親交はありがたい。 明日からはタンセン、ルンビニの怒涛のような学校訪問が始まる。 合同図書贈呈式はトリブバァン大学理系校講堂にて9校に582冊を寄贈し、これで延べ3000冊となった。書籍の注文から贈呈式の間、ラマさん等が12回に亘り車への積み下ろし、一冊ごとに3箇所のミカの会寄贈印を押すご苦労があっての贈呈式には本当に頭の下がる。せめてゴム印を押すぐらいは自分達でやれる時間の余裕が欲しい。 学校訪問は新規図書支援校で「塩屋の息子」の通うジャナタ小中高校から始まり、予定外に教員研修施設マルティパルキャンパスを視察。初めてのパドゥマパブリック校、パラヨン・タラ・ダワン校、ミレニアムセカンダリ校からワーキングチルドレン校。モホン女子校でセン小学校の二手に別れての訪問とした。セン小学校の訪問は悪名高い急坂を敬遠して暫く訪れていなかったが、生徒からラマさん宛に「最近ミカの会は学校に来て呉れませんが何か先生方が悪いことでも?」との手紙を受けていたこともあり、比較的若手?グループの訪問となり、要請のあったパソコン一式を寄贈セッティングした。久し振りの訪問のせいか子ども達の歓迎はすさまじく、皆顔が埋まるほどのレイを掛けられて目を白黒している。ここの子ども達は特に元気で無邪気で人懐こく楽しい。校長にはルンビニ地区の教員研修に積極的に協力するとの確約を得ることができた。また、マルティパルキャンパスはルンビニの教員研修に打って付けの施設であり、今後のコンタクトをラマさんに託した。 明日のルンビニで配る品物の仕分けの間、持病の肺気腫のせいか胸が痛いと言う梶さんに2ヶ月習得したラマさんが気功を試みてくれ、大分楽になったらしい。僅かだがお粥を食べられた。標高の影響もあるのかルンビニでの様子では延滞を取りやめ、早めの帰国を考えた方が良さそうだ。 ナガルコットの丘を降りる途中の準看護学校を立ち寄る。昨夜是非立ち寄る様に連絡が有った様で、住いを兼ねたホテルのような立派な建物でタンセンの山並みを見下ろす最高のロケーションだ。二つの教室には男女の若者が授業を受けていた。コーヒーをと勧められるが、スンディーの開校式の時間が気になりルンビニに向けて降りることにした。タンセンは決して大きな街ではないが学校はあと幾つあるのだろうか?。さすがに教育レべルが高いと云われるのが納得できる。 やはりネパール時間の常習者になってしまった。既にスンディ−小学校の校庭には4〜500人ほどのひとが集まり式典の準備は整っている。昨夜らいの雨も上がり3っの校舎と職員室はルンビニの太陽に真っ白に輝いている。校長の話では地域の人達は校舎建設はネパール政府が行っているものと思っているため、多くの人に声を掛けて外国のNGOの善意によることを知ってもらったと云っていた。今回の建設支援は全額大石トキさんの資金援助によるものであり、大石さんの挨拶に続き、和田さんのネパール語での挨拶には集まった人たちも和やかな雰囲気で聞き入っていた。時折ラマさんと確認しあう和田さんをにこやかに覗き込む大石さんの光景は実にほのぼのとしていた。校舎の壁の大石さんの名前が彫り込まれたプレートに安堵の表情を浮かべる母娘によるテープカットに地域の人たちから大きな拍手が湧き上がっていた。 おめでとうございます。本当にありがとうございます。 今回、7名の初参加者に今までの支援実績を見て貰うようにラマさんと決めて怒涛のような視察が始まった。昨年に比べ整理整頓されているアディアリ小学校、シリ・マズワニ小学校、ブルーの制服2クラスのマズワニ中学校では青沼さんの用意してくれた写真を配り、風邪のため不在だった期待の保健婦の保健センター、壊された井戸のマホマディア小学校、中学校2教室を建設中のシリ・シリ・ラム、なぜか子どもたちの数が異状に多かったシリ・ルンビニ小学校と目の回るような駆け足の支援校巡りだ。 マヤ聖堂脇のレストランで夕食を兼ね各校の校長との懇談会は教員研修、図書施設の提案に「有意義なありがたい」提案と賛同を得られたが、相変らず机、椅子、柵の要望が多く、自らの努力での改善の姿勢に乏しく、提案に今一つ積極的な意見、要望が聞けなかったのは残念でもあり、実施にあたって不安も感ずる。 ルンビニ地区の学校視察はあと2校だ。4基の扇風機を付けたグルワニマイ小学校。記念植樹も大分大きく育ったシリ・ヤナトラハ校でボールで遊ぶ子を見掛け、見せてもらうとすっかり毛の無くなったテニスボールだ。昨年来た時配ったものであろう。ここまで使って呉れているのかと嬉しい。持っていったボールと交換すると感触を思い返すように撫ぜ廻しているのが印象的だ。中野さんまた宜しくお願いしますょ。 パドゥマ・カニヤ女子校の先生方は今年もにこやかに迎えてくれ、今回の6本の書棚を加え立派な図書室になった。パタンの観光もそこそこに雨のナガルコットへ。クラブ・ ヒマラヤの雰囲気に包まれるとドッと疲れが出る。学校毎に挨拶をされていた会長はさぞ疲れているだろう。生演奏のレッサン・フィーリーリに合わせての今年の踊り手は大石さん。バクタプール、カトマンドゥの観光、ショッピングと慌しい。インドから帰国したジャンモさんがフィクスチケットを延滞を繰り上げ変更して届けて呉れた。法華ホテルから電話一本で変更したラマさんに敬意。 帰国後朝日新聞コラム特派員メモ欄にバクタプル“深くは考えまい”の記事が目に付いた。内容は「こんにちは。私に本を買ってくれませんか」。ネパール中部のカトマンドゥに近い古い都バクタプルを訪れた時、少女が片言の日本語と英語で話しかけてきた。10歳の彼女は英語の勉強に辞書が欲しいが、貧しくて買えないという。名前はスジャータ。ネパールで生まれた釈迦が修行でやせ衰えいた時、牛乳で煮込んだおかゆをくれた少女と同じ名前だ。南アジアではとこでも物乞いがいるが、元締めが「ショバ代」を得て働かせている場合が多い。インドでは物乞いの「労働組合」や全国大会もあるらしい。「施し」にしても本人にいくら入るか分からないし、貧困解決にもならない。気の毒だが、ほとんどいつもやり過ごしている。この少女も新手の物乞いかと思ったが粗末な身なりながら、大きな瞳がキラキラしている。一冊の辞書がきっかけで勉強に励み、将来は大人物になるかもしれない。少し迷った末、一緒に本屋に行った。「まさか少女を使って稼いでいるんじゃないでしょうね」。店主に念を押し、150ルピー(約230円)の辞書を買ってあげた。「サンキュー」。満面の笑みを浮かべ、少女は走り去った。年齢に比べ、妙に堂々とした態度がすこし気になった。でも、あまり深く考えないようにしている。と。 マオイストに追われて地方からやってくるのが急増しているそうで、バクタプル、カトマンドゥを歩くと今回は特に多くの物乞いが擦り寄り、「ルピー、ルピー」と云ってくる。以前は「ペンシル」「スイート」「シガレット」と云って来たが最近は殆ど聞かなくなった。まして辞書が欲しいと云われたことはない。もし云われたらつい買い与えてしまうだろうと思う反面、辞書を欲しがっている子どもたちは、多いのではないかと考えさせられる。次回訪れる時にはシリ・マズワニ中学校に何冊が準備することも新しい支援のあり方かなと思ったりもしたが、会の課題としてNPO取得後の対応、教員研修・移動図書の計画作り、給付金先の検討、ルンビニの貧困解決の一助策、ラマさんの負担の軽減策、会報・夢の記発行、計測器支援先への報告、会の若返り策、今回の若い参加者は新戦力になって呉れるかなぁ、等々いろいろあるなぁ〜。 “あまり深く考えないようにしょう”と深夜便のシートにぐっすり。 |
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1111 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
完成したシリスンディ小学校と特別にご寄付を頂いた大石トキさん | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
取り急ぎ大谷事務局長の一文で今回の旅の様子をご紹介いたします。夢の記の製作が始まりますので順次追加していくますのでお楽しみに! | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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